かぞくの食卓 -table talk-
【かぞくの食卓 -table talk-】第8話:価値観が違っても、長い時を重ねた先に。蔵元・熊澤家のしっとり塩鶏

【かぞくの食卓 -table talk-】第8話:価値観が違っても、長い時を重ねた先に。蔵元・熊澤家のしっとり塩鶏

夫婦として、親として、パートナーシップを結び続けること。親が継いだバトンを受け取り、子どもに手渡すこと。家族をつないでいくことは、個人の意思だけではどうにもならないことも多く、なんだか途方もない。すれ違いや困りごとを前に、匙を投げたくなる瞬間も度々訪れます。

多様な選択肢がある中で、何を継ぎ、手放し、選んでいくのか。家族をつなぐ先には、どんな景色が広がっているのでしょうか。

【かぞくの食卓 -tabel talk-】第8話は、湘南唯一の蔵元である熊澤酒造の6代目・熊澤茂吉さんと妻の由布子さんのご自宅を訪ねました。


折り合いをつけず、尊重する

国内外の旅先で集めた古い器や調理道具。毎年、庭の梅と熊澤酒造の日本酒で漬ける梅酒。窓辺に緑が揺れる気持ちのいい台所には、長く深い“時”が漂っています。

20年前にこの家を引き継いだとき、食卓を担う由布子さんは広い台所にひとりになるのではないかと懸念したそう。けれど自然と人が集まり「ここが家族の居場所になった」。

部屋の真ん中に佇むアイランドキッチンの端っこで、一男一女の子どもたちと、そして夫婦ふたりで、食卓を囲んできました。

窓辺にある台所の一部が普段の家族の食卓。来客があるときは広いダイニングで

日々、台所に立つ由布子さんは、季節ごとに自宅で料理教室をひらき続けている腕前の持ち主。

茂吉さん:
「由布子さんの料理がおいしくて、家が居心地がよいから、基本は朝晩、ここで一緒に食事をしています。酒蔵が近いので、たまに昼も帰ってきて、夕方6時には家にいるかな」

茂吉さんが由布子さんならではの料理として思い浮かべるのは、その名も「口福茶漬け」。丼に盛ったごはんに各自好きな具──ほぐした塩鶏、焼いた明太子、沢庵、三つ葉、わざび──を乗せて、日本酒で蒸した塩鶏の出汁をかける、胃にもやさしいお茶漬けです。由布子さんがお母さまから受け継いだ味でもあります。

由布子さんのレシピノート

普段は台所に立たない茂吉さんが、唯一腕を振るうのが素麺とお雑煮なのだとか。

茂吉さん:
「熊澤家は男子厨房に入らずの昭和スタイルだったんですが、由布子さんの家庭はお父さんが掃除も皿洗いもなんでもやる方で。由布子さんから“やらないの?”と言われながらも、ここまで来てしまいました。

ただ、素麺の茹で方と雑煮の餅の焼き方だけは熊澤家の味が譲れないので、自らやらせていただいております」

由布子さん:
「家事については折り合いをつけないまま、長い目で期待しています。お雑煮の味だけは相容れないので、私は別鍋でつくっているんです。どちらの味も知っている子どもたちには、その都度選んでもらってね」

受け継いできた家庭の味や習慣を、押し付けず、受け止め、折り合いをつけないまま、尊重する。そんなふたりのあり方が、台所と食卓から見えてきました。


適度に聞き流し、言い流す

学生時代に交際し、一度はお別れをしたふたり。それから茂吉さんは6年、由布子さんを想い続けて年賀状を送り、初めて返事があった年に再会。その半年後に結婚して以来27年、ともに歩みを進めています。

茂吉さん:
「若気の至りで、学生時代は好きな子をいじめちゃう男子みたいに、怒らせてばかりいたんです。空白の6年の間に、それじゃだめだと改心しまして。

由布子さんは常にご機嫌な人ですが、不安に弱いんです。だから不安にさせないことだけは意識しています」

由布子さん:
「子どもたちの心配事や不調が重なると不安になることもありますが、彼はいつも肩の力が抜けていて、それは平気じゃない?と言ってくれるので、大丈夫だと思える。学生時代を思うと、こんなにやさしい人だったかなって驚きがずっと続いている感じ。だからご機嫌でいられるんです」

不安にさせない。ご機嫌でいる。その歯車がぴったり合って回っているよう。

茂吉さん:
「枝葉の価値観は違いますよ。折り合いがつかないこともあるので、真面目に向き合って話はしないです。僕が自分の考えを話して、由布子さんは違うなあと思ったら聞き流す。僕もつっこまずに、言い流す。日々のコミュニケーションはそれくらいの温度感です」

由布子さん:
「100%賛同できなかったとしても、あえて、まあいっかって受け流すんです。根は真面目だから(笑)、こうでなくちゃと考えてしまうこともあるけれど、押し返すとぶつかり合ってしまうから。一緒にいる時間が長いからこそ、余計な衝突が生まれないように、踏み込みすぎないようにしています」


言葉で踏み込まず、ふるまいを見せる

子育てにおいてもふたりは、言葉ですり合わせるのではなく、それぞれがふるまいを見せるというスタンスでいました。子どもが幼いときに両親との同居を決めたのも、見せる背中を増やすため。

茂吉さん:
「造り酒屋に生まれ、父は途中で酒蔵を辞めて自分で事業を起こしたので、僕は祖父から受け継いだかたちです。脈々と家族が続いていることを子どもたちに見せたいと思ったんですね」

由布子さん:
「私も実家は3世代で暮らし、母の祖父母に対する態度を見て育ってきたので。上の世代の人とどう接するかを自然と見せて伝えたいと思っていました」

子どもは周囲の人たちとの関わりも含めた親のふるまいを見ている。コミュニケーションは、一対一の言葉のやりとりだけではないのだと気付かされます。

両親との同居を機に移した住まいは、建築家・吉村順三が1967年に設計した家。『家がその人をつくる』とアドバイスを受け、茂吉さんが38歳のときに引き継ぎました

個人の自由を守りながら、家を継ぐ

24歳で家業を継いだ茂吉さんも、見聞きした原風景や身体で覚えた感覚が、決め手になったと振り返ります。

茂吉さん:
「蔵元の長男は代々、小学校に上がった年の新酒を飲むという伝統があるんです。その洗礼だけは受けていて。地元の人からは『継ぐんでしょ?』とよく聞かれたけど、家族は『やりたいことをやっていい』と言ってくれました。

24歳のとき、アメリカを放浪していたら、父の会社が経営の危機に陥り、造り酒屋も廃業するかもしれないと連絡があった。相談した実業家に『衰退産業だからやめたほうがいい』と言われた瞬間に、スイッチが入ったんです。

継ぐ責任というより、足元に宝が落ちている、と思ったんですね。地域の人が集うコミュニティの発信地だったという、祖母から聞いていた昔の造り酒屋の風景を再生させたいと。

帰国して、親族会議で『継がせてほしい』と伝えたら、その場で祖父から『ぜんぶ任せる』と実印を渡されました」

その日から自身のやり方で、家業を立て直して30年。茂吉さんは100年、200年の長いスパンで家族を、事業を、地域を見つめています。

茂吉さん:
「6代目の蔵元としてバトンを渡してもらったからには、子どもや孫の世代につなげたい。とはいえ息子には自分の人生を選ぶ自由がありますから。息子が小学生のときに『継ぐことになっているんでしょ?』って泣き出したことがあって。

人生を決められる悲しみが僕にもわかる。だから熊澤家の伝統を守り、好きに選んでいいと伝えました。でも、本音は継いでほしい。25歳を過ぎた息子のスイッチをどう押せばいいのか、絶賛気を揉んでいます」

家族だからといって、決められていることはない。代々家業を継いできた熊澤家も、その時代を生きる個人の選択に託しながら、家族をつなぐ過程にいます。


ただ時を重ねるだけで、いいのかもしれない

お話を聞いていると、茂吉さんが由布子さんを大切に想っていることが、言葉やふるまいの端々から伝わってきます。

茂吉さん:
「恋人から夫婦になって、親になるわけですが、僕の中には恋人の感覚も残っていて。関係性が変わるというより、層が積み重なっている感じなんです」

子どもが生まれてからもふたりは、お互いを名前のさん付けで呼び合い、結婚記念日には、子どもたちを両親に預けて、旅行に出かけたそう。

由布子さん:
「私が子育てにのめり込んでいると、よく声をかけられました。少し距離を置いたら?って。夫婦あっての子どもたちだから。でも今思えば、あれはやきもちだったのかな」

茂吉さん:
「バレました?」

そう笑い合うふたりの関係は、ともに過ごす日々の中で、ゆっくり醸成されてきたもの。

茂吉さん:
「年々、概念的なことだけではなく、具体的なことも一致するようになりました。美術館で作品を観たあとに『どれが一番よかった?』と聞くと同じだったり。骨董市で同時に『これがほしい』と言ったり。一緒に見て、感じている。その蓄積が大きいのだと思います」

由布子さん:
「もともと違うふたつの円が交わって、時間とともに重なる部分が広がっていった感じはするよね。この家には今、ふたりの重なる部分の好きな景色があります」

フィンランドの旅で買い付けてきた骨董たち

茂吉さん:
「旅先で出会ったモノも多く、眺める度にその時を思い出す。晩年ふたりで骨董のお店をしようか、なんて話しているんですよ」

由布子さん:
「珈琲とケーキを出してね」

茂吉さん:
「骨董を集める言い訳なんですけど」

ふたりでぼんやり描く遠い未来が、ふたりの今の楽しみにつながっているようです。

家族を継いで、ともに重ねてきた長い時間の中に、代えがたいものが宿るように感じます。喜びも悲しみも、酸いも甘いも、ごちゃまぜになった複雑で深い味わいが。

ほぼ毎日、同じ食卓を囲み、同じ景色を眺める。価値観が違っても、特別なことはしなくても、ゆるやかにでも、ただ同じ時を重ねる。その先に円が重なって広がり、家族がつながっていくのかもしれません。

誰かとともに生きることに匙を投げたくなったときは、重ねた時を辿り、遠い未来をぼんやり見つめてみようと思います。個人の意思を超えた、大きな時の流れに身を任せるように。



鶏むね肉2枚を観音開きにして蓋付きの鍋に並べ、塩と砂糖各小さじ1をまぶし、酒50ccを加える。鶏むね肉がひたひたになる程度の水を注ぎ、アルミホイルで落し蓋をして、さらに蓋をして5分加熱する。5分蒸らせば、短時間でしっとりした塩鶏が出来上がります。

由布子さん:
「塩鶏をスライスして白髪ねぎを乗せて、ごま油と出汁醤油をかけてもおいしいですよ。角切りにしてパスタに加えたり、割いて棒々鶏にしたり。旨味が凝縮した蒸し汁は、薄めてお茶漬け、うどんやお蕎麦のお出汁に、スープにもできます。万能な常備おかずです」

photo:井手勇貴

熊澤茂吉・由布子

茂吉さんは明治5年創業の熊澤酒造6代目蔵元。1993年に家業を継承。廃業寸前の家業を立て直すため、地ビール「湘南ビール」、日本酒「天青」を発表。湘南エリアにレストランを多数展開、ギャラリーや保育園も運営する。酒米やホップの自社栽培にも力を入れるほか、湘南に残る最後の蔵元として、暮らしを提案する。由布子さんは20年以上、自宅で料理教室をひらきながら、熊澤酒造のカフェメニューの提案や『熊澤通信』の執筆を行う。熊澤酒造の著書に『湘南の楽園、熊澤酒造 四季折々の愉しみ』(主婦の友社)がある。

HP:https://kumazawa.jp/

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